2012年3月23日 (金)

車検係のつぶやき

3月後半の釧路川のほとり。
今年はずいぶんと雪が多く、こんな時期でもまだ-22℃などと記録しているから油断ならない。
それでも、冬将軍の鉄壁の守りにもほころびが見え始めて、すぐそこまでやってきている春の音が聴こえてくる。屋根から滴る水音の新鮮さに、思わずはっとさせられるのもこの季節。

さて3月は、その年最初の車検月。
車検係にも仕事始めがやってきた。

車があるからこその、車検。
どこへ行くにも車、という今の生活スタイル・・・。何とかならないものかと思いはするのだけれど、そこは田舎暮らしの定めと言うべきか、学校、保育園、役場、図書館、商店、その他生活に必要なあれこれの施設は全て、7kmほど先の市街地に集約されているから、どうしても車が無くては始まらない。
まして、カヌーを積んで屈斜路湖へ、釧路川へ、となれば、言わずもがなの車社会。

その車やトレーラーも、5台ともなれば、小さな家内企業にはたかだか車検と言えどもなかなかの負担だ。ましてやそのうちの3台は毎年の車検なのだから。
その車検係に、いつから任命されたのかもう覚えていない。気がついた時には、すっかり我が家の車検担当者になっていた私…。
原野暮らしの母ちゃんたるもの、車検の一つも通せなくてどうするんだ!と鼻息荒く申し述べてみたところで、車を動かすのは大好きだけど、その車が一体どやって動くのか、未だそんなこた全然知らない頼りなげな車検係だ(キッパリ!)。

車検、と言うと、最近はガソリンスタンドなどの「車検代行」もよく見かけるけれど、普通は車を購入した車屋さんや整備工場、ディーラーなどに頼むのが一般的。
でも、それより遥かに安くて早いのが、自分で陸運局に持っていく「ユーザー車検」。

しかし何しろここは原野の真ん中。車検場のある陸運局は、80km先の釧路市なのだ。
というわけで、車検に行く日はたいがい朝一番に家を出て、トコトコとドライブしながら陸運局を目指す。
(トコトコじゃなくて、ブンブンだという説もあり)

そして、今日は車検場で写真を撮る余裕があったので、順番に紹介しながらお送りしようと思う。
(なぜ余裕があったのかは後ほど)


陸運局に到着したら、まずは書類の受付から。
窓口で書類をもらい、重量税の印紙を購入し、書類の記入が終わったら窓口へ提出。
車検証、納税証明書、1年先までの自賠責保険の証券など、必要書類がそろっていることを確認してもらう。

書類が終わったら、車に乗り込み車検場内へ。

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この日は年度納めが近いせいか、激しく込んでいた。検査を待つ車が長蛇の列となっているけれど、めげずに並ぶ。

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2つ前の車がボンネットを開けているのが見えるだろうか。
何のためかと言うと、
オイルの残量をチェックしている・・・わけではなく、
バッテリーの残量をチェックしている・・・わけではなく、
ただ、
エンジンに打刻されている車体番号が、車検証に記載されている番号と合っているかどうかを確認するため、だ。

このあと、係員がそばにきて、トンカチのとんがったみたいなやつで、カンカンと全てのタイヤのホイールをたたいて、何かを確認する(何を確認しているのか、今までこの分野で落ちたことが無いので分からない)。
タイヤの規格があっているかどうかもここでちゃんと見ている。
それから全てのランプが点くか確認し、前のワイパーを動かし、ウィンドウォッシャー液が出るかどうか見る。ブッブーとクラクションも鳴らす。
車の中を覗き、シートの数が車検証に記載されている通りか確かめる。
問題なければ、合格印を押してくれるので、次に進む。
問題があった時は合格印はもらえないけれど、やはり次に進む。

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レーンに入るのはいつも緊張。。。
何度来てもお腹が痛くなるほどの緊張なのだ。

レーンの入り口で、係員が黒煙検査をする。
エンジンを思いっきり空ぶかしして、排気ガスの黒煙濃度を、シューッッとものすごく大きな音のする機械で吸い込んで検査する。

ディーゼルだけでしょ?
と思われるかもしれないけれど、ガソリン車も今は全て黒煙検査がある。
(ただしガソリン車はレーンの最後で検査をする)

黒煙検査が終わったら、レーンの奥へ。
たいてい、黒煙検査の人が「入ったことある?大丈夫?」と心配そうに聞いてくれる。
車検係になって初めの10回くらいは
「初めてなんですぅ・・・」と心配そうに言って、係の人についてきてもらっていたけれど、さすがにもう慣れてきたので、最近は
「タブン大丈夫だと思いますぅ」
と言うことにしている。

表示が「進入」になったら進む。

後は、前の電光掲示板&アナウンスが全て指示してくれるので、その通りに。
「スピードメータの検査をします。40kmでパッシングしてください」
「ライトの検査をします。ライトを上向きに点灯してください」
「フートブレーキの検査をします。ギアをNにしてください。
フートブレーキをはなしてください。フートブレーキを踏んでください」
「駐車ブレーキの検査をします。駐車ブレーキを引いてください」

ここで全ての項目に●が点けば、このコーナーは合格。
「前進して記録してください」
ガチャン。

それから下回り検査のコーナーへ。
車の下に係の人がやってきて、器具を使ってあちこち叩く。
カンカン、コンコン、コツコツ、カンカン、コツコツ、ゴリゴリ、、
かなり念入り。
エンジンを切る、かける、ハンドルを回す、反対に、などのアナウンス。

検査が終わると、
OKの時には「下回り検査●」 の表示が出るけれど、
ダメだった時には「書類持って下に降りて来てください」というガッカリしたアナウンスを聞くことになる。

下回り検査が終わって、全ての項目がOKだったら、出口の窓口で合格印をもらい、最後に受付の建物で新しい車検証を受け取って終了する♪という手順だ。

ダメなところがあった時は、
その当日に直した場合は、2回まで検査できる。
3回以上になる時や、すぐに直せない箇所だった場合は、車検証に代わる「限定検査証」というものを発行してもらい(1400円)、退却する。

何度来ても終わるまでは心臓バクバクして緊張する検査レーン。
いつもならとても写真など撮る余裕はないのだけれど、今日は限定検査証による「再検査」だったので、かなり心にゆとりあり。

無事に新しい車検証をもらい、車検係の3月の仕事は終わった。ほっ!

な~んだ、けっこう簡単そうでしょ。

ここだけの話だけど、
車検係って、意外と女の人の方がいいかも。
何しろレーンで女性を見かけることはほぼ無いので、係の人がとても心配して丁寧に教えてくれるから、ね。


さなえ
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・・・ユーザー車検をマスターしたら、道東ポイントが5ポイントくらいアップする気がする。

2012年2月28日 (火)

藁の重さ

そろそろ3月だと言うのに、今朝の最低気温は-28℃。
けれど、朝の台所に差し込む優しい日差しや、ぽたぽたと音楽のように水音を滴らせている軒先のつららが、もう春の近いことを教えてくれている。

冬になる前に、今年初めて冬を越す羊のメイちゃんのために、がってんがたくさん作ってくれた干草。
何しろ「にわか羊飼い」には、羊1頭の食べる一冬分の干草の量の見当がつかない。
けれど、「大体1ロールくらいだよ~」という先輩羊飼いの言葉を頼りに、とにかく小屋いっぱいに作っておけば何とかなるのではないかと見切り発車したのだけれど・・・

春間近とは言え、雪深い2月の末、
思いのほか大食いだった羊のメイちゃんは、小屋の干草を食べ尽くそうという勢いなのだ。

年末に鶏たちが全滅してから、キャベツの外葉、白菜の虫食い、人参や大根の皮、リンゴの芯、果てはヤーコンの皮やらヘタやらまで、さまざまな野菜クズを食べるのも羊のメイちゃんの仕事となった。
野菜なんか食べるのかと初めは恐る恐るあげていたけれど、意外にも大喜びで食べてくれるので、今やすっかり「野菜クズ担当」となっているメイちゃん。だけどいかんせん、その野菜クズも、野菜が貴重な今の時期はごくごく少量。メイちゃんの旺盛な食欲の前には、砂漠の一滴のようなもの。

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小屋の干草が残りわずかとなり、春まで到底もたないことが確実となった今日、重い腰をあげてようやく「干草調達」へと動くことにした。

何しろ干草作りは重労働で、大変な手間がかかるもの。晴天の続く日をよくよく選んで草を刈り、刈った後も1日のうちに何度もひっくり返しながら太陽にあてて干しあげる。数日かけて干した草を、我が家はそのまま小屋につみあげ、牧場では機械で圧縮し、倉庫へ積む。

訪れた近所の牧場(1軒目)で、おそるおそる干草を分けてもらえないか聞いてみたら、あっさりと、気持ちよくOKが出て、メイちゃんの当分の餌は無事に確保された。

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分けて頂いたのは、このあたりで通称「梱包」とか「コンパクト」と呼ばれている藁の四角いブロック。
干しあげた草をぎゅっと四角に圧縮したもので、一つの重さは15kgほど。

積み上げてある干草はしみじみと懐かしい、お日様の匂い。ひとつずつ抱えて小屋へと運びながら、藁の素晴らしさを改めて思う。
何しろ、この四角い藁のブロックは、我が家の大切な「建材」。
藁ブロックをレンガのように積み上げて、それをモルタルと漆喰で塗り固めた我が家の壁は、厚さ50センチを越える。今日のように、-28℃の厳しい寒さも、藁の壁と薪ストーブのおかげでぬくぬくと暖か。

This straw appears small and light, and
most peaple do not know how really weighty it is.
If peaple knew the true value of this straw,
a human revolution could occur, which would become
powerful enough to move the country and the world.
--MASANOBU FUKUOKA  The One Straw Revolution--

藁一本の価値をメイちゃんに語って聞かせたところで釈迦に説法かもしれないが、藁の家に住む「にわか羊飼い」にも、改めて重く、ありがたい今日の藁だった。

青草の春が、待ち遠しい。


さなえ
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2012年1月17日 (火)

鶏騒動

話は去年に遡る。

暮れも押し迫った12月30日、この日は毎年恒例のお餅つきの日。
昔ながらの杵と臼を使って、ぺったんぺったんお餅を搗き、皆でわいわい遊ぶ、大人も子どももとっても楽しみな我が家の恒例行事。

お餅つきには友人たちもたくさんやってくる。
搗いたお餅は各家庭用の鏡餅とのし餅を作るほか、もちろんその場で美味しく頂く。
搗きたてのお餅なんだから、どんな風に頂いても嬉しく、美味しい。きなこ、あんこ、大根おろし、そしてやっぱりお雑煮!
せっかくお雑煮を作るのだからと、お餅つきの3日ほど前、がってんと一緒に、鶏を2羽、お雑煮用につぶした。
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つぶした、、って一言で書くと簡単だけど、
自分で世話をしてきた鶏を肉にするのだから、これはなかなかに気が重かった。
けれど、ずいぶん年をとって卵の産みも悪くなってきていたし、鶏はペットではないのだから、いつかは必ずこの日がやってくる。

皆が集まる特別な日、そこでお雑煮として食べるためならば、お肉にする機会としては申し分ないと思った。
産みの悪い子を2羽、よくよく選ぶ(間違ったら大変!)。それをがってんがしめて羽をむしり、肉にしてくれた。
スープをとってから、圧力をかけて加熱したのちに2日ばかり煮込むと、スペシャルなお雑煮の出来上がり!

こうして迎えた、お餅つきの日。
この日は朝からお餅つきの準備でばたばたしていた。お餅を蒸かすための蒸し器やお湯の用意、臼にお湯を張ったり、コマゴマとした道具を出してきたり、作業台を広げたり。
忙しかったけれど、そうそう~皆がやってくる前に鶏のエサだけやっておかなくっちゃ~、とエサのバケツを手に鶏小屋へ向かった。

冬の間鶏小屋に使っている温室の入り口の戸を開けると、
昨日まで元気に土の上を跳ね回っていた鶏たちが、、、
なんと全滅していた。

羽が散乱し、
累々と横たわる6羽の鶏。
5羽のメスは全て頭が無く、オスの1羽は頭つきのまま埋められていた。

こんなことをするのは、足跡を確かめるまでもなく、テンの仕業だ。
首元に襲いかかって血を吸う。そして頭だけちぎって持っていく。
それがテンのやりかた。

あっちゃぁ…

しばらく呆然としていたけれど、気を取り直し、外で雪かきをしていたリョータくんを呼び、一緒に鶏たちをコンテナに詰めた。
ここに置いておいたら、またテンやキツネがたくさん来て宴会を始めること、間違いなし。
横たわる鶏を見た時から、
「食べよう」
と思ったので、とにかくコンテナに詰めて倉庫の梁に下げておくことにした。

餅つきは予定通り、滞りなく進み、
翌日は大晦日。

朝からスタッフ・リョータくんと蔵ちゃんが集まってくれて、がってんと男3人でテンにやられた鶏の処理が始まった。お湯を沸かして、羽をむしっていく。
ほんの1時間ほどの間に、クリスマスによくお店で見かけるような丸鶏の姿になった。
名古屋コーチンの雄が1羽、同じくコーチンでヒヨコから育てた雌の1羽、そして1年半前にやってきたよく卵を産む子が1羽、卵を産む気がほとんどないお局様が3羽、全部で6羽。

…それにしても、羽をむしっている最中にがらりと戸を開けて現れた郵便屋さんにはとても気の毒なことをしたと思う。

さてすっかりお肉になった我が家の鶏たち。
臆病で弱虫だった雄鶏は、無事に我が家のお雑煮とカレーに変身した。
このカレーは、「おんどりゃーカレー」
と呼ばれ、子ども達も大喜びで食べた。
残りの鶏は、解体を手伝ってくれたリョータくんと蔵ちゃんにもらわれていった他、我が家の冷凍庫に眠っている。

そんなわけでこの冬、我が家の鶏は一羽もいなくなってしまった。
今までもテンの襲撃を受けたことはあったけれど、全滅したのは初めてのことだ。
しかしいなくなってみると、卵はもちろんのことだけれど、とても困ったことが出てきた。

それは台所から出る生ゴミで、今まではほとんどの野菜クズを鶏が食べてきてくれたので、畑のコンポストに入れるような生ゴミはコーヒーの粉、玉ねぎの皮、卵の殻など、ごくわずかでそれほど多くはなかった。それが鶏全滅とともに、一気にたくさんの野菜クズの処理に直面することになってしまった。

ここは北国、冬の間は全てのものが凍ってしまう。
そして一年のうち半分は冬なのだから、生ゴミが土に還る速度はすこぶる遅い。

新しい鶏を飼うにせよ、それは春以降の話なのだから、
生ゴミ処理には何か新しい工夫が必要だと思う。

とりあえず今のところは電気を使わないEM生ゴミ処理バケツがあるけれど、容量が小さいのですぐにいっぱいになってしまうし…
うん、要検討!

さなえ
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2012年1月 5日 (木)

一陽来復

少し遅くなりましたが、
皆さま、新年 あけましておめでとうございます!

おめでとうと言っていいものか悩み、
今年の年賀状には、タイトルの『一陽来復』の言葉を刻みました。

新しい一年が、
どうか良い時間になりますように。
希望の光が見える一年に、なりますように。

皆さまの健康と幸せを、
北の大地より心からお祈り申し上げます。

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さなえ
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2011年12月 2日 (金)

塩味のポタージュ

冬が、やってきた。
ひゅるり冷気をまとった風が、すっかり枯れた原野をなでていく。毎朝しっかりと霜で白くなっているけれど、雪はまだ。寒さばかりが先行し、一年でいちばん寒く感じるのがこの季節。
こんな寒い季節には、なんといっても温かいスープがいちばん。

111125_1 薪ストーブに火を入れたら、玉ねぎを刻みます。
バターを使ってよくよく炒めたら、そこに野菜も加えます。
カボチャや人参、さつまいも、じゃがいもなんかがいいかしら。
お鍋にフタをして、少し火から遠ざけて、野菜が汗をかくように蒸らし炒め、
それからお水を加えます。
そこに、ローリエ(なるべくなら枝つきのものを)と良い塩を。

野菜と、水と、ローリエと、塩。
シンプルな材料をことこと煮込んだら、後は裏ごしするかミキサーで、ポタージュに。
とろみの少ない時には、ナイショだけど、炊いたご飯を一緒に加えます。
仕上げに豆乳と、生クリームを少々。

何の変わりばえもしない野菜のポタージュだけど、
私のレシピは、味つけに使う調味料が塩だけ。
塩とローリエが、野菜から甘味を引き出してくれるので、コンソメいらず。
だけどビックリ、こっくりと美味しい野菜ポタージュ。

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放射性物質は絶対にイヤだから、口に入れるもの全てに気をつける。
そしてもちろん添加物もイヤ。
シンプルで、免疫力がアップする食事を作るのも、かあちゃんの大事な仕事。

だから、負けない。
全国のかあちゃん達、がんばれ!

さなえ
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<メモ>
※我が家では牛乳は飲んでいないけれど、無添加の生クリームとバターは使っている。放射性セシウムは脂肪部分へはほとんど移行しない。
※塩は、友人が販売している韓国のもの。粒が大きくて甘い。

2011年11月 5日 (土)

自家製キムチ

すっかりと葉が落ちて、釧路川の畔は晩秋の装い。
透明度の増した空気は、どこまでも美しいのだけれど、触るとはらりと壊れてしまいそうな儚さが、近づく冬を告げているかのよう。

ぐんぐんと日も短くなって、短くなった光に追われるように一日が過ぎていくこの頃。
先日久しぶりに近所のホームセンターを覗くと、中はじんわりと暖房が効き、品揃えは一気に冬モードになっていた。
ホッカイロ、冬用ワイパー、雪囲いの筵、暖かい靴下、ストーブの部品などコマゴマとよく気がつくように並べられた冬用品の数々、それからもちろん、どーんと設けられた漬物コーナー。

1斗樽から4斗樽まで、さまざまな大きさの丸や四角の漬物樽に加え、それぞれの樽に合うお漬物袋、そしてこれまたさまざまなサイズの漬物石、漬物の材料の塩だの麹だの昆布だの粕だのスルメだのがぎっしりと、いちばん目立つ入り口に山積みになっている。
これ、これ。冬支度といえば、漬物作り。それが北国のかあちゃんたちなのよ。

去年は、ニシン漬けも飯寿司も、気温の下がり過ぎないうちに暦通り漬けたら、どうもうまくいかなかった…。こんなに漬物に失敗した年は初めてだった。だから今年はうんと気温が下がってから漬けよう。そう思ってはいるのだけれど、やっぱり山と積まれた漬物用品を見ると気持ちは焦る。

そこで、今年は手始めにキムチを漬けることにした。
まずは畑にぽつんと残されていた白菜を、全部収穫。するとあらあら!キムチを漬けるのにちょうどいい量!

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収穫した白菜は、全てよく洗い、4等分に裂いた後、塩漬けに。

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2日経って、よく漬かった白菜をザルに並べて水切りする。
1日くらい置いて、よくよく水が切れた頃が漬け時。

キムチのたれは、買ってきたものよりも断然手作りが美味しい。
鰹ダシに上新粉を加え、火にかけた糊状のベースに、韓国唐辛子、すりゴマ、りんご、大根、玉ねぎ、しょうが、ニンニク、ごま油、ナンプラー、自家製イカ塩辛などをたっぷり入れていく。味見をしながら、あれこれ少しずつ足していくのがなんといっても楽しい。
最後に、軽く塩もみした大根と人参の細切りと、ニラをどっさり加えて混ぜると、自家製キムチタレの完成!

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これを、白菜に丁寧に塗りこみ、まるめて容器に並べていく。
白菜の切れ端にタレをつけてもぐもぐしながらキムチを漬けていると、通りかかったスタッフのクラちゃんがしみじみ言う。
「何が安心って、保存食がたっぷりあるほど安心することないですね」
そうなのそうなの。

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北国はこれから寒くて厳しい季節がまた巡ってくる。
畑もすっかり凍りついて、春まで白い世界が続くけれど、保存食があれば安心。

大好きな漬物の季節は、始まったばかりです。

さなえ
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・・・しまった。。キムチは美味しすぎてすぐ無くなりそう。全然保存食じゃなかった!

2011年9月 3日 (土)

子ども達に何を食べさせるか

夏が過ぎ、あっという間にもう秋になってしまった。
月日の過ぎ去る早さに驚いてしまう。
何度もブログを覗いては、まだ更新されてない・・・と思って下さっている方に、心からゴメンナサイ。

ありがたいことに、いつものように大忙しの夏がやってきて、その夏も急ぎ足で過ぎていこうとしているけれど、
ありがたいことに、私も子ども達も元気いっぱい。
畑の作物たちも元気いっぱい。

いつもの年以上に、
畑の作物たちが元気であることが嬉しい今年です。


震災の前、というより原発事故の前、私はご飯を作ることも食べることも大好きだった。
加工食品はほとんど買わず、
なるべく家で採れたもの、山で採ってきたもの、近所で採れたもの、
そして、
添加物の入っていないもの、なるべく農薬がかかっていないもの・少ないものを選び、
家族の喜ぶ食事を作るのが好きだった。

けれど今は、「食べる」ことに対する意識の大変革を余儀なくされている。

少し前、セシウムの検出された牛肉が話題になっていたけれど、
まさか、
放射性物質は、東北地方の特定の稲藁の上にだけ降り注いだわけではあるまい。
非常に広い範囲の、
大地、空気、そして海、その全てを汚してしまった。

それがどれほどの恐ろしさであるか、
時間を経るごとにひしひしと感じる。


我が家では、この夏は魚や貝をほとんど食べられなかった。
海の底に沈殿したストロンチウムの量は計り知れず、魚のストロンチウム含有量を調べるのは1検体につき数ヶ月を要する(と説明されている。違っているかもしれない。しかしとにかく検査体制が無い)。
産地で選ぼうにも、魚の「産地」は単に水揚げ港を表示しているだけなのだから、その魚が広い海の一体どのあたりで獲られたものなのか、私たちは推測するしかない。

子ども達が大好きなお肉も、食卓に上がることは少なくなってしまった。
牛肉のセシウム検出のニュースの影で、ひっそりと「豚からも検出」のニュースが伝えられていたけれど、豚肉は、最終的に出荷された土地が「産地」になるのだから、その豚がどこで育ったのか、消費者は知る由もない。

さまざまな情報があって、
それぞれの情報に対する賛否両論の意見と、異なる解釈があって、
意図的にか否かはともかく、明らかになっていない事実がいろいろとあって、
たくさんの、主に利権にからむ思惑が飛び交っている中においては、
何が安全で、何を避けるべきか、それらは全て自分で考え、判断していくほかないのだと思う。

今はまだ、食べても大丈夫な食材も多い。
原発事故前に作られたものを買うこともできる。
外国からきた食材もたくさん並んでいる。
だから、
震災前と同じ食事を、放射能で汚染されていない食材で維持しようと思えば、出来なくはない・・・かもしれない。

けれど、この先ずうっとそうしていけるわけじゃない。

だから、我が家の調理担当の結論としては、
○日々の食事は質素で充分。
○野菜と、玄米時々白米、豆と麩と自家製卵でたんぱく質を補って、
○野菜は自分で育てたもの、隣近所で頂いたもの、近くで育ったものを中心にして、
○お米はこれまで通り、旭川の友人の農家から買い、
○牛乳は、残念だけど今は食卓に乗せられないので、豆乳を使う。
○お肉は、鶏肉か羊肉か鹿肉を、たまに。
○家の裏で釣ってきた川魚は、もちろんありがたく頂く。
・・・ということになった、今のところ。

付け加えておくと、これらは子ども達が食べることを大前提にした基準であって、もし食卓を囲む人が大人だけであったら、食べられる食材はもう少し増える。


この夏は、釧路川の畔も暑い日が多かった。
ずいぶん久しぶりの、晴天続きの夏だった。
おかげで、畑の作物たちも驚くほどぐんぐん成長してくれた。
もちろん、雑草もすくすくだけれど^^

そんな我が家の畑にも、いくばくかの放射能が降り注いでいるのだろうけれど、
それでも自家菜園のある安心感はたとえようもない。

白菜、キャベツ、大豆、イチゴ、ニラ、

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ジャガイモ、大根、人参、チンゲン菜、かぶ、ほうれん草、水菜、

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インゲン豆、ミニトマト、なす、きゅうり、バジル・・・
それぞれの量は少しだけど、食卓の豊かさというのは見た目の豪華さとは全く違うもの。質素であっても、畑や野からやってきたものは何でも嬉しい。

幸いここには土地と水だけは豊富にあるけれど、
一年の半分は大地が凍っているのだから、野菜を育てられる期間はごくごくわずか。
そして仕事をしながらだと、畑の容量は自ずと限られる。
けれど、たとえ都会のマンション暮らしであってもプランターと土でベランダ菜園が出来るように、たくさんの暮らしの中に大なり小なりの「農」がゆっくりと広がっていくことが、これからの暮らしの常識となればいいなあと密かに願う。

子ども達の健康は、台所に立つ母ちゃん達の手にかかっている。
もっと勉強して、確かな目を持ち、アンテナの精度を高めて、友人達と情報を共有しながら、これからも家族の健康を守っていかなくっちゃ。

北国の、短い実りの季節は今が盛りです。

さなえ
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2011年6月 9日 (木)

羊が家にやってきた

5月の終わりに、1頭のかわいい子羊が我が家にやってきた。
きっかけは、昨年末にとうとう始めたツイッター。

「とうとう」と書いたのは、ずっとツイッターを始めることを敬遠していたからで…。
なぜに敬遠していたかというと、たぶん始めたらば、つぶやきを読んだり投稿したりすることで、自分の時間がものすごく減るのではないかと思っていたからであり、また、何をしていても忙しく「ナントカなう~」とかってつぶやいている人に、何か恐ろしささえ感じたりしていたからだった。

けれど実際に始めてみると、あっという間に、140文字で伝える小さな世界にすっかり魅せられてしまった。確かに、放っておくと自分の時間をぐんぐん吸い取られていく実感は否めないけれど、それはそれ、そんなことは予め自分のスタイルを決めて向き合えばいいことで、最初に考えていたよりもうんと楽しくステキな世界が待っていた。

その中でも予想外に嬉しかったのは、今まで会ったことも無い方と、ツイッター上で「会話」ができることだった。ステキなご縁が繋がっていくのは、どんな形であっても心弾むもの。

そのツイッターで知り合ったのが、こちらのそらまめかあちゃん
十勝の肉牛農家さんなのだけど、犬、馬、羊、ヤギ、ロバ、ジャージー牛などたくさんの動物たちを飼って、自給自足を目指すとってもステキでパワフルなかあちゃん。

このそらまめかあちゃんから、3月の初めに突然1通のメッセージが届いた。
「我が家の羊はペットなので、もしよければ今度生まれたメスの子を飼ってみませんか」

受け取った時は正直、ものすごく戸惑ってしまった。
なにしろ、今まで羊を飼うことなんて全く考えたことがなかったし、それに、そらまめかあちゃんとは何度か「会話」したけれど、会った事もないし、お名前も知らない。羊のことももちろん、何も知らない。

それで一度は「すぐには難しいと思うのです」ってお返事したのだけれど・・・
よくよく考えてみれば、羊を飼うというのは決して悪い話ではない。
それに会った事もない私に、自分の大切な子羊を譲ると言ってくれたその心も、私にとってはとても嬉しいことだった。

そらまめかあちゃんからは、続いて
「そんなに難しく考えなくても大丈夫ですよ~」「夏の間は青草を食べてくれるので、除草と一石二鳥です」 な~んてステキなメッセージが送られてきて、気持ちはすっかり羊飼いに傾いた。

よし、これも何かのご縁だから飼おう!
そう決めた時には、もう子羊の離乳も終わっていて、あまり心の準備も受入の準備もする間もないままに、あれよあれよと子羊は我が家にやってきたのだった。
そらまめかあちゃんが、十勝の自宅からはるばる連れてきてくれた。

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かわいい。
すんごく、かわいい。

羊に与える餌は、草と水だけ。
草と水だけで生きられる草食動物って、今さらながらほんとにすごいと思うのだけど、ほんとに餌は草だけも大丈夫。

羊舎は、以前豚を飼っていた小屋を利用することとし、まだ羊用に改良の余地ありなのだけど、とりあえずは夜と雨の日だけということで、しばらく我慢いただくこととした。
それから、今までは「家畜」に名前をつけたことはなかったのだけど、羊はさしあたって食べる予定もなく、草刈隊として活動してもらう「ペット」の位置づけなので、名前をつけることにした。

子ども達との協議の結果、名前は「メイちゃん」と決まった。
5月(May)にやってきたし、驚いたことに羊って本当に「めぇ~」と鳴くので(!)、協議は紛糾することなくあっさりと済み、羊はめでたく「メイちゃん」とメイメイされたわけで・・・。

メイちゃんの首輪は中型犬用のもの。
羊が来る前にすごく心配していた「首輪が入らなかったらどうしよう…」という心配は、首輪をつけたまま連れてこられたことであっさりと解決。それに倉庫で拾ったロープをつけて、毎日場所を変えながら杭でつなぐ。杭は、先がくるりと輪になったステンレス製の、50センチほどの長さのものを地面に打ち込んで使っている。

さあこれで頼もしい、わっかの草刈り隊員第2号誕生!
のはずだったのだけど・・・
あれ?

そうです。意外に好き嫌いが激しかったのですね。
メイちゃんの好きな草、①たんぽぽ ②よもぎ ③おおばこ(ただし小さくて柔らかいものに限る) ④牧草

わっかの広大な庭は、元飛行場の滑走路。それはまあ、惚れ惚れとするほどに平らでよく草が生えているのですね。けれど、この滑走路部分に生えている緑の草は、推測するに牧草が40%くらいで、残りは一見すると牧草か芝のようだけどよく見るともっと細い、スゲという草(タブン)。メイちゃんはこれがお嫌い。残念・・・。

それから暑いのが大の苦手。そりゃあ全身ウール100%のみっしりとしたセーターを着ているのだから暑かろう暑かろうと思いはするのだが、まだまだ初夏にも届かないほどの心地いい太陽の下なのに、ぐったりしながら小さなバケツの影に頭を突っ込んで動けないでいるメイちゃんを見ると、(夏にはどうなってしまうのだろう・・・)とやや不安でもある。

太陽をしのげる木陰があって、なおかつロープが絡まらず、人間の目も行き届いて、好物の草がふんだんにあるところ。そんな都合のいいところはいかに広いわっかの庭でもなかなかに無いのであって、仕方なし、小さな鎌であちこちの草を刈ってはメイちゃんの前に運ばせていただいたりもしている。

けれど、羊のいる風景はすごくいい。

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もうそれだけで、草原の風景はいっぱいだ。

にわか羊飼いは、まだまだ学ぶことが多すぎて、どうにも頼りなげではあるのだけれど、ひょんなことから始まった羊のいる生活も、既に日常のものとなりつつあるこの頃だった。

さなえ
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<そらまめかあちゃんのツイッター>
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2011年5月18日 (水)

土に向かう

震災から2ヶ月、長く続いた母子家庭生活もそろそろ一段落の時が近づいている。

さまざまな草木の芽吹きにあわせて、原野の春は忙しい。
ひとつには畑の準備を始めなくてはならないし、
山菜も採りに行きたい。
冬の間できなかった外の作業があれこれと立ち現れたりもする。
また、子ども達の学校や保育園もそれぞれに新学期が始まって、懇談会や家庭訪問があるほか、いろいろの会合や総会があったりもする。

でも春のあれこれは、長い冬のトンネルを抜けたばかりの生活にはごく新鮮で、どれもこれも嫌いじゃない。
加えて、今年の春は私にとっての新しい作業がいろいろあった。

それは主に畑作業のことで、
これまで原野で暮らして15年の月日が過ぎたのだけど、いつの年だって、
春になる前にあれこれと種を購入する計画をたてて、畑をおこし、畝を切って、種を蒔いていく作業は、そのほとんどががってんの担当だった。
それが今年はどさりと、思いもかけず私の上にやってきた。

さてどうしよう。

3月の中頃は、これから苗を育てるべき温室に、まだ鶏たちが居を構えていたので、まずはこの鶏たちを引越しさせることから始まった。
引越し先の、温室に隣接した本来の鶏小屋を掃除して、エサ箱やら産床やらを移動させ、鶏たちにも引越しいただいた。

それから畑を耕運機で起こしていく。
耕運機はごく小さなもので、がってんに尋ねると
「燃料は『にじゅったいいち』でやってね」
とのこと。
田舎でよく聞く『にじゅったいいち』は、ガソリンとオイルの割合を現したもので、20:1の割合で燃料を混合させて使うという意味だ。
チェーンソーや刈払い機などのエンジン系の機械類はこのような混合オイルを使うことが多く(25:1の場合もある)、私も見よう見まねで混合オイルを作って入れてみた。

畑の端から丁寧に耕運機をかけていく。
私のなまくらな腕で鍬を振るうのとは段違いのスピードとパワーで、みるみるうちにに畑の土が黒々とふかふかと起こされていく。

エンジンの振動を腕に受けながら、どんどん耕されていく畑の土をふみしめて、
耕運機をかけるのは初めての経験ではないけれど、動かすたびに心に浮かぶ一節がある。

 四国の愛媛県で自然農法を行なっている福岡正信さんという高名な人がいる。この人は、田を耕さず、肥料をやらず、むろん農薬もかけないで一反の田から十俵ものお米を収穫するという放れ業をやっている人であるが、その人のもとで長い間その自然農法を学んだ友人が、この二年ほどどういうわけか屋久島に住んでいる。<…略…>
 昨年、自分の足腰にほとんど自信がなくなり、気力も衰えて、耕うん機の中古でも買うしかないかと思い迷って彼に相談したことがあった。すると彼は言下に
<一番楽な百姓は鍬で耕す百姓である>
と言ってくれた。それを聞いて僕の体の中に深く了解するものがあった。気持としては耕うん機を購入する寸前までいっていて、すでにパンフレットの類などが眼に入りはじめていたのだが、その一言で耕うん機のことは跡形もなく消え去ってしまった。

   ーー『回帰する月々の記』 山尾三省著ーー

三省さんのような潔さは、今の私にはとてもとても無いのだから、比較のしようもないのだけれど、三省さんよりうんと年下の私が、猫の額ほどの畑を耕すのに耕運機を使っていることにはやはり罪悪感のようなものを感じてしまう。それでもやはり迷いはなく、耕運機を手に畑に向う。

我が家の畑は、奥の方は黒土でふかふかしているけれど、手前の方は、以前の持ち主の方が砂利を敷いたと思われる部分で、大判小判ならぬ大石小石がざっくざくと出土する、きわめて畑に不向きな土。
けれどこんな土でも、どうにかこうにか作物を育てているうちに、それなりに畑らしくなってきてもいる。しかしまだまだ石は多いので、耕運機の後は石拾い。大きな石が出てくると「おっ!やった☆」と反射的に喜びつつ、「あぁこれがジャガイモだったらなあ」とついつぶやいてしまうのも毎年のことなのだった。

何より急ぐのは温室だから、まずはこの温室の土を耕し、畝を切って、それから小さなポットに土をつめて種をまき、苗を作り始める。
その後、露地の畑を耕し、畝を切り、寒さに強いものだけをまずは植えていく。
霜にやられると困るものは、カッコウが鳴いてからでなくては蒔けないので、ひとまずカッコウ待ちとする。

耕して畝を切った畑は、絵を描く前の白いキャンパスのよう。
ここにこれを植えよう、こっちにこれで、あ、やっぱりあっちにこれだ、、などと畑を見ながら考えている時間は、白いキャンパスを目の前にした絵描きさんのような気持ちでもある。

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今まで、どちらかと言えば畑作業は得意じゃなかった。決して嫌いではなかったけれど、楽しくて仕方ないというわけではなかった。心はずませて野に向うというよりは、義務感の方が強かったのだ。
けれど、今年はどうしてかとても楽しい。
少しでも時間が出来たら、気持ちは畑に向いている。
何を植えようか考えてワクワクしたり、芽が出たばかりの小さな野菜たちの様子が気になって、日に何度も何度も様子を見に行ったりして。


まぶしくて優しい、春のお日様が大地を照らしている。
その宇宙の不思議に日々生かされている私たち。
数多の映画にあるように、いつか人類は、汚れてしまった地球を捨てて、宇宙へと向う日がくるのだろうか。水と、空気と、光を手に入れて。

けれど、もしいつの日か宇宙で暮らすことになったとしても、私たちは土を持っていかなくてはならない。この土がなければ、私たちは生きていけない。
でも、そんなこと、できっこない。
この土は地球そのものだから。
かけがえのない、大地そのものだから。

子ども達のために、
澄んだ空気と美味しい水、汚れていない海と大地を残したい。

どのようにしたらいいのだろうかと考えながら、今日も土と向き合います。

さなえ
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http://twitter.com/sanae_wakka

追記:
この記事を書いている最中、遅い霜にあたって温室の中のトマトやナスの苗が枯れてしまいました。この時期は温室と言えども霜に気をつけなくてはいけない、日々是勉強です。

2011年3月15日 (火)

震災に寄せて

3月11日、東日本大震災
多くの人が忘れることの出来ない一日。

亡くなられた方と、大切な家族を亡くされた方、
今なお物資の補給を待ち、不自由な生活を強いられている被災者の皆さん、
心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

M9.0の地震とそれに続く大津波、それから原発事故、
どれか一つだけでも大変なことであるのに、これが一度に起こってしまった。

地震と津波は天災だけど、原発事故は明らかに人災。
こうなる前に原発を止められなかった、建設を止められなかった、
全ての大人に責任がある。

子ども達に、
心からごめんなさい。

どこを見ても心痛むことばかりだけれど、
小さな希望の光を見つけながら、少しずつ少しずつ歩いていこう、
今、私たちは生きているのだから。

書きたいことはたくさんあるのだけれど、
今日は、田中優さんからのメッセージを添付することにしました。
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「2011年3月15日、今日から空気は危険になる?」

 とにかく落ち着いてから動きましょう。何かする前に、大きく
深呼吸してから。そして睡眠や食事をサボると判断が鈍りますか
ら、必要なことは欠かさないように。


東京に来るかもしれない放射能

 いよいよこの日が来てしまったと思う。原発に反対して23年、
いつかはこうなると思っていた事態に直面する。でもまだこれが
最悪ではない。もし核爆発を起こせばもっと悪い事態になる。子
どもを授かったばかりの女の子から相談があった。たぶんいい歳
なんだと思うけど、小学生のころから知っていたから今もぼくか
らは子どもに思える。どうしたらいいのか、と。

 ぼくは昨夜メールした。「今まで風は海に吹いていた。でもい
よいよ北風に変わった。しかも放射能の排出濃度が高まってきた。
悪いことに今日から雨になる。対策しないといけない」と。「可
能なら旅行のつもりで落ち着くまでどっか西に(日本は偏西風地
帯なのでおおむねの流れは西風だ)出かけるといいんだけどね。
無理だったら雨には当たらず、可能な限り厚いマスクしてから外
出してね」と。でもあわてなくていい。東京までの距離は約220
キロメートル。風速3メートル程度であったなら、届くまでに18
時間かかるのだから。


放射性ヨウ素131を避ける

 核爆発は起こしていない現時点では、福島原発周辺の風も弱か
ったので気体以外はほとんど飛んでこないだろう。中でも気にし
なければならないのはヨウ素131だ。これは甲状腺に貯められて
ガンなどを引き起こす。吸い込むだけで吸収する。もともと大事
な元素で自然界には「放射性」のヨウ素なんかなかったから、生
物は無警戒に体内に集めてしまうのだ。特に子ども、胎児に影響
するので採らせたくない。そのためには先に甲状腺を放射性でな
いフツウのヨウ素で満たしておきたい。そうすれば排泄される確
率が高くなるからだ。
 
 本当は「安定ヨウ素剤」がいい。人々が入手できずにいるのに
『専門家』なる人たちはこう言う。「医師が処方するものです。
原子力災害などの緊急時に、指定された避難所などで服用指示が
あった場合のみ、服用してください」と。

 東京に流れてくる可能性があるのに、それだけの備蓄があるの
かと聞きたい。『専門家』なるものは、見殺しにする専門家なん
だろうか。でも、他のもので代替しようとすると副作用もある。
40を超える年齢には効果がないとも。だから『医食同源』で考え
るしかない。病院で甲状腺の検査をするときには、その前一週間
は海藻類を食べないように指導するそうだ。つまりその分が影響
する。ならばそれで防ぐしかないだろう。食べすぎれば問題だが、
ところがこの「ヨウ素を採るべき」という話を「ネットでのデマ」
としているのだ。
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/touch/20110312/p1


いつまで気にしなければならない?

 しかしヨウ素131が分解して放射線を出して安定し、半分に減る
までの期間は8日だ(これを半減期という)。8日ごとに半分に
減っていくから、もし一日で放射能が届かなくなるなら80日間経
てば千分の一以下に減る。つまり80日間だけ、放射能の入ってい
ないヨウ素の入った自然のものを、食べ過ぎない程度に、子ども
たちには多めに食べさせるようにしよう。その間に周囲は千分の
一以下の放射性ヨウ素に下がっているはずだからだ。

 しかし核爆発が起きたら、しかも風向きがこちらに向くなら、
たくさんの長寿命の放射性物質に囲まれることになってしまう。
今回排出されたひとつは放射性セシウムだった。これは半減期が
30年を超える。子宮や筋肉に集まる。放射性ストロンチウムでは
骨に集まる。そこでガンなどを引き起こすのだ。しかし千分の一
以下に減るには300年以上かかってしまうのだ。半減期は厄介な
問題だ。福島第一発電所の三号機のプルサーマル燃料として使わ
れているプルトニウムでは、半減期が2万4千年もある。だから
放射能と生命は共存できないと主張してきたのだ。

 今朝のニュースの第一、二号炉の爆発はまだ核爆発ではない。
これまで破られていなかった格納容器内での爆発だから、放射能
を多く含んだ煙を排出しているものの、それは核爆発ではない。
「絶対安全」と言い切ってきた推進派、電力会社に責任を取って
もらおう。


みんなで被害も分かち合う

 「だから東北産の食品は食べない」というのは正しくない。降
り注いだだけなら水で洗い流すことができるからだ。しかし約一
カ月経つと食品の中に栄養素として入り込み始める。だから当面
は変わりなく洗って食べていればいい。その後は濃縮される率が
問題になる。植物は濃縮度が低く、食物連鎖の上位(例えば肉や
卵)にいけばいくほど高くなりやすい。

 しかしそれ以前に、東北の人たちにだけこの被害を押しつける
のはおかしくないか。ぼく自身を含めて現実に止められなかった
のだ。だからもし被害を受けるなら(原発をこれまで推進してき
た人は相応の責任取るべきだが)、人々全員で等しく引き受ける
べき被害ではないか。ましてや海外の貧しい国に送ってはいけな
い。過去に貧しい国に輸出されてしまった例もたくさんあるのだ。

 しかし子どもたちだけは守らなければいけない。親が汚染した
ものを食べて、子どもたちにだけはなるべく安全なものを届ける
べきだ。


生きなおすために

 原発内部の燃料が冷えるには約三カ月かかると言われている。
そうならあと三ヶ月間は心配しなければならない。それまでは爆
発やメルトダウンの危険性があるのだから。そして空に飛散した
放射性物質は、雨とともに降り注ぐ。だから風向きと雨次第で放
射能が土地に濃く残ったり、ほとんど残らなかったりする。しか
しその被害を受けているのは私たちだけではない。ボスニア、イ
ラク、アフガニスタンに、たくさんの放射性物質「劣化ウラン弾」
を浴びせてきた。原子力の開発のために放射能汚染された大地は、
世界中に数え切れないほどだ。私たちはこれほど地球を生きられ
ない場所に変えてきたのだ。

 明日から変わろう。汚染するのではなく生かせるように、壊す
ためではなく新たなものを作るために生きよう。この悲劇が、あ
の時点から変わったと言える変換の時にできるように。今日から
は徹底してほしい。外から帰ったら、家に入る前にマスクをした
まま埃を落とそう。

もし風で届くなら、昨日までとは違う世界に生きなければならな
いのだ。

<転載ここまで>
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「余震と火災がやまないけれど、悪夢の日ではない、
長い復興の道に踏み出した、最初の日なのだろう」
被災した河北新報の記者が、震災の翌日に寄せた記事です。

私たち一人一人が、
核の無い世界、原子力に頼らない生活、助け合う社会、
これを強く願えば、
きっと、世界は変わる。

さなえ
www.wakka.biz
www.twitter.com/sanae_kinase

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